空音と器

私が初めて、
器の世界に触れるようになったのは、
大学生のとき。
日本的なものの美しさにとても惹かれていた時期で、
(何となく、男の子みたいですね..)
不思議な講義ばかりとっていました。
その中にたまたま「東洋陶磁史」があったのです。
*“不思議な講義”とは、雅楽、仏教史など、
社会学系学科とは思えないセレクトでした(笑)


「東洋陶磁史」の講義では、
古い中国や韓国の陶磁器を
ひたすら、スライドで見る。
美術館へ行く事が課せられる。
たくさん器を見ていると、
心がぐうんと惹き付けらるものがあり、
器を見るのがおもしろくなってしまいました。


いいなと思う器は、
広い世界を見せてくれます。
作り手の精神やその時代の美意識など、
その器にこめられた何かが自分と同化し、
急に目の前が広がっていく感じでしょうか。
ただ、自分が先に何かを決め込んでしまうと、
世界が広がる可能性をせばめてしまうこともあります。


もちろん器は実用的であればよいのですが、
器を見る時、選ぶ時には、
それ以上のものを見せてくれる器、
世界を感じさせてくれる器に惹かれます。
ため息をつかせてくれるほどの器は、
本当にたまらなくなってしまい、
この良さを誰かと共有したくなります。
私は、
そんな器にもっともっと出会いたいし、
小さな器から広がる世界の可能性に
どっぷりとつかりたいと思うのです。