器をめぐる考察

この度、GINZA8月号の器特集に掲載いただきました。
この場をお借りして、関係する方々に心よりお礼申しあげます。


この和食器特集を拝見したこともあり、器について再び考える今日でした。
和食器の面白さは、
土、火、作り手の気持ちなど、いろんな条件が影響する人工物だから、
同じものの量産が難しいところにあります。
逆に言えば、
「奇跡の器」が生まれる可能性があること。
そして奇跡の器というのは、
世界を平和にしてしまうくらい(!)の大きな可能性を持つと信じています。
そんなすごいと思わせられる器は千に1つかもしれなくても、
そんな器と出会える可能性がある器屋は、空音の楽しい趣味です。



敵を作りたいわけではないけれど、
最近の若い作家ものの器は、
すごくうすっぺらくて面白くないなあと、内心思っております。
今の考えの主流が「器=雑貨(ただの消費の対象)」である事の表れでしょうね。
イマドキの器で気になるのは、「使い手と器との距離感」 。
うすっぺらさの原因の多くは、
一見真面目なのに、表面的な自己満足や自己表現でしか器作りを考えていことにあると思います。
(↑ 真面目ではなく余裕があるのだったら、きっとよい器になるんだと思います)
その穴埋めをするのは、使い手。
理解し合えず行き場のない気持ちをごまかすか、
気持ちを器に依存させ続けるかしないと、
器を受け入れられません。
ハイテンションな器使いを楽しみ続けられる方は、それでよいのだと思いますが、
そういうこなしができない場合も少なくないと思うのです。



「奇跡の器」でなくともいい器は、
自分の気持ちが器に依存したり気持ちをごまかさずに、
いい距離感を持って、気持ちよく使えるものです。
だからこそ、
すごくいいと思う器ほど可愛がりすぎず、
日常的にさらっと使うのが私は好きです。
時代の空気を感じながらも、
空音は淡々と「よい距離感の持てる器」をつないでいきたいです。
空音を支えてくださる方々がいらっしゃるのだから、それ以上の望みはありません。
本当に。



※ 明日7月12日、13日はお休みいただき、
19日から、企画展を開催します!