実りの季節を祝う

空音は親しみやすい雑貨はなく、ご紹介しているのは陶磁器と木のものぐらいです。
大きいお店でもありません。
東京にはたくさんの器屋がある中で、
そんな当店へわざわざ足を運んで頂けることはいつも励みになっています。



先週来てくださった方の中に、特に嬉しいお客様がいらっしゃいました。
早稲田に移転して、初めての学生さんだったんです。
カフェかなと思って立ち寄ってくださったというある意味「事故」だったのですが、
これは特別記念日です。



作家の中でも、学生時代に焼き物に目覚めてという方が多く、
私も焼き物の面白さにどっぷりはまったのは学生時代でした。
国際関係の勉強をしていましたが、平和や戦争をゲーム的に捉える奥行きのない学問になじまず、
気付けば日本文化を探っていく方に興味を持つようになりました。
仏教美術雅楽など日本文化に関する授業を片っ端から取り、
中でも一番興味を持ったのが「東洋陶磁史」でした。
夏には5つの美術館を巡り焼き物をピックアップしてレポートするという課題も、
歴史的背景への考察が足りないと言われながら、
自分なりに解釈してレポートするのが楽しくて仕方ありませんでした。
焼き物というのは、守られなければ壊れてしまうようなはかないものです。
その何百年も前に(描かれ)焼かれた焼き物が、
魅力がまったく色あせず、輝きを放って静かな空間に佇んでいる。
ちいさくてはかないものの中に、偶然の美しさが色あせずにとどまっている。
もうそれだけで奇跡なんですね。
器の魅力に存分に魅せられていました。



美術館に並ぶ焼き物と今の時代の焼き物とは違ったものかもしれませんが、
エッセンスが受け継がれている点で変わらないと思っています。
作る人がいて見る人や使う人がいてくれて、初めて後につないでいくことができます。
こういうのもあるよ、と学生さん達にも身近に見てもらえる今の環境は、思いがけず恵まれています。
早稲田に移りまだまだ3ヶ月。
静かなお店の中で外の賑やかさをまぶしく感じる日もありますが、
東中野でお世話になってきた方々にはもちろん、
学生さんをふくめ新しいお客様の心の中に根付いていけるように願いながら、
がんばろうと思います。



昨日は栗をたくさんいただき、新米で栗ごはんを炊きました。
おこわのようにもっちりと炊きあがった甘いご飯を噛み締めると、しみじみ季節のありがたみを感じます。
こんな風情を引き立ててくれる、石田誠さんの焼き締めでもあります。