器の可能性

最近ニュースを見ていると、
急いで結論を出すべきでないことを、
急ぐべき議論だとする詭弁が飛び交い、
心穏やかでない日が続きます。
東京のせっかくの梅雨の晴れ間が台無しです。



今のような複雑な時代に、皆に働きかけるような力は存在しないし、
当然器にも何か世の中を変える力なんて、さっぱりありません。
いつもそうなのですが、誤解を恐れずにもっと言うと、
いい器を買って使ったから、
暮らしそのものが豊かになったり、
温かい気持ちになるものでもないと思っています。
もちろんそのように感じてくださる方もいらっしゃるでしょうけれど、
すべての人が同じように感じるわけではありません。



ただ、1人の作り手や、作り手が代弁する時代の何かが、
一つの物を通して観る人、使う人に伝わったり、
何かを気付くきっかけを与えてくれる可能性がある。
観る人、使う人が心を開いていたら、
気持ちが動かされるような事がきっとあると思います。
どう動かされるかは、その人それぞれですが。



器を通した小さな経験が、
身近な関係性を少しずつ変えていく小さなきっかけになったら。
「素敵な道具を持つ、使う」という側面だけではない。
今私自身は、器をめぐる理想の形をそんな風に想い描いています。