ずっと書けなかったこと

6日間、ブログを更新しようと毎日パソコンに向かいながら、
書いては消し、消しては書きを繰り返し、なかなか先へ進めませんでした。
そして今日会社からの帰り道、少し悲しすぎたのだなと気づきました。


自然の力は人の想像を超えています。
そして、容赦なく何の理由もなく、大切なものを奪っていくことがあります。
3月11日の巨大地震は、とてつもない威力を見せつけてられました。
誤解を恐れずに書きますが、
今回生き残った私たちはたまたまこちら側に立っただけで、
自然の中にあって人は皆平等で仲間です。
同じ時に同じ日本に生きる1人として、
亡くなられてしまったたくさんの方たちのご冥福をお祈りいたします。


近くにいる人も何人か、被災地にご家族がおありで不安な日が続いていました。
被災地にも、以前弊店で器をご注文くださった方や、
空音に繰り返し足を運んでくださり夢をお話くださった方がおられます。
少しばかり、空音のサイトをご覧くださっている方もいらっしゃるかもしれません。
1人でも多くの方が救われますこと、
また被災地の方々の大変な暮らしの中にも、
小さくともあたたかな灯があることを心から願っております。


一方平日東京で会社員として暮らす中でも、
首都圏周辺で時間とともに不安感が広がりつつあるのを感じていました。
発生後も毎日のように不測の事態が起きている巨大地震後の非常事態ではありますが、
ライフラインが途絶えた被災地で不安な思いを抱えながらも、
強く生き抜こうとする方たちの様子も伝えられています。
こうした姿に自分自身も励まされると同時に、
それぞれの役割の人が最善を尽くしてくれていることに敬意を払い、
被害の少なかった地域に残された私は気力や笑顔、落ち着きを失ってはいけないと強く思います。



今首都圏では、夜でもあんなに明るくにぎやかだった街に
これほど長い夜があったかと思う程、たくさんの静かな時間が流れています。
このひと時は、私が生きていくのに何が大切か?を問われ、
それを考えるために用意されたかのような時間となりました。
ここにくるまで少し時間がかかってしまったけれど、答えは決まりました。



震災後も度々、ありものの食材で料理を作り、いつものように器に盛っています。
大変な時だからといって、器が私たちに寄り添ってはくれることはありません。
でもそれですごく救われました。器があり私がいる。それだけでいいと思いました。
なくてもいい無駄なものがあることが、ふと心の余裕を作ってくれました。


器はいざという時はかなく一番に消えてしまうでしょう。
器が残してくれるものは器そのものではなく、たぶん目に見えないものです。
はかなく小さな、そして無駄に見える存在に1人ひとりが向き合い価値を見出していくことは、
近代化の中でしばらく端によけられてきた価値観ですが、
これから日本人である私たちがどう生きるかのヒントがあると信じています。
それなので、被災地への直接的な支援にはならないかもしれませんが、
今は自分ができることを続けます。
1円玉の重さほどの微かさだとしても復興に向けた小さな力を届けられるよう、
今週末からも、いつもの場所で皆さまを穏やかにお迎えしたいと思います。




*今週末よりしばらく、営業時間の変更を検討しております。
 決断でき次第サイトでご報告いたします。ご理解の程よろしくお願いいたします。



*このような時期の展覧会に、作り手たちも難しい決断をされたと思います。今だからこそ展覧会をするという決断、延期するという決断、どちらにも作り手の皆さまへの思いがあります。私は作り手へめいっぱいのエールを送りたいと思います。
 ■吉田直嗣 LIFE BASE http://nyky.jugem.jp/
 ■竹本ゆき子 個展 http://www.style-hug.com/index.html