2つのお弁当

同居人の分もお弁当を作るようになり、数ヶ月。
手はかけていないけれど、
1人分だけ作っていた時はもっと手を抜いていました。




今はとても恵まれていて、好きなものを好きなように食べることができます。
ただ、それ以外のさまざまな雑音が入る事で、
毎日「食べる」こと自体の持つ比重は昔と変わってきているかもしれません。



社会の中での役割が大きくなって、
例えば洋服のように、「自分を見せるための何か」の存在が大きくなっています。
でも食べることは、誰のためでもなく基本は自分のため。
あるいは食を共にする人のため。
食べるための器を自分の目で意識的に選ぶことは、
その比重や意味を少しだけ変化させてくれると思います。



家族の分まで料理をするようになり、思いがけず景色が少しずつ変わってきています。
料理が好きな人だけでなく、料理しなくてはいけない人、食べる人にも。
どんな立場の人にも開かれた器屋でありたいです。